読書感想文「天佑、我にあり」
• 2010年8月29日
残暑厳しい夏をやり過ごすには、「クーラーの効いた部屋での読書」に限ります。今日は、「天佑、我にあり」という、歴史小説をご紹介します。本作は、戦国時代の象徴ともいえる「武田信玄と上杉謙信」の物語。合計5回に及んだ「川中島の合戦」ですが、その中でも、最も苛烈な戦い(双方合わせて死者:9000人、負傷者:20000人)となった、4回目の「八幡原の戦い」だけにスポットを当てています。
著者は、海道龍一郎。これまでの著作は5冊しかないので、一般的な知名度はゼロに近いと思いますが、新陰流の開祖「剣聖・上泉伊勢守信綱」の生涯を描いたデビュー作の「真剣」で、驚愕の新人として歴史小説界に登場。その後、戦国時代をテーマにした作品を発表しています。
タイトルにつけられた「天佑」とは、「神に選ばれた者だけが持つ天運」のことで、謙信・信玄のどちらが「神に選ばれた戦人」だったのか?総力戦を展開したら「お互いに滅びてしまう」と言われたほど、実力が伯仲していた二人が、唯一、ガチンコで戦った「八幡原の戦い」。お互いに「自軍全滅への可能性」を感じながらも、何故、総力戦へと突入して行ったのか?その理由が、海道的“歴史観”から明らかにされています。謙信・信玄と両軍の家臣たちの“会話”という形で、読者に伝える「この戦いの目的」。そして「天佑」は、どちらにあったのか?
戦国時代の捉え方として、織田信長が今川義元の軍勢を破った歴史的快挙「桶狭間の戦い(1560年)」より「以前なのか?以後なのか?」という考え方があります。史上稀に見る激戦となった「第4次川中島の戦い」は、桶狭間の翌年(1561年)。当時、「我こそは、日の本一の武将」と自負していた、謙信と信玄。特に、謙信は、関東管領職として、その想いが一層強かったようです。「織田の小童」が成した武功に遅れてはならないという“焦り”から、「何が何でも、宿敵・武田信玄を倒して、関東管領として名声を上げる!」と考え、総力戦に臨んだ、というのが“真実”だと思うのですが・・・。
さて、小説は、「軍神VS武神の対決」は、伝説の「謙信の一騎駆け」で幕を閉じます。全600ページ、一気読みでした。
戦場となった、「八幡原(現長野市)」の史跡には、一騎駆けで敵の本陣に至った謙信が、信玄に切りつけたという「伝説」を再現した「銅像」があります(下の写真)。歴史家の大半は、当時の“戦”の在り方から鑑みると「総大将の一騎駆けなんて、ありえない」と言います。しかし、この「伝説」は確かに存在するのです。信じるか、信じないかは、貴方次第です。